気まぐれ日記 06年4月

06年3月はここ

4月1日(土)「図書館との関わり・・・の風さん」
 地元図書館へ日本数学会出版賞受賞報告に行ってきた。
 町立図書館でオープンしてまだ4年なので、資料が豊富にそろっているわけではないが、実は、大変お世話になっている。公立図書館には相互貸借制度というのがあって、自館にない図書でも他館から借りてもらえるのだ。極端な例をいえば、国立国会図書館から借りてもらい、地元図書館内で閲覧したことがある。国立国会図書館には豊富な図書の収蔵があるが、個人が館外へ持ち出すことができない。館内で閲覧して、必要な部分はコピーをとってもらう。地元の図書館に国立国会図書館にある書籍を、相互貸借制度を利用して借りてもらい(つまり東京からここまで送付してもらい)、地元図書館内で閲覧したのだ。必要な部分は、地元図書館の複写機でコピーをお願いした。東京と同じ状態を地元図書館で再現してくれたわけだ。地方在住作家が閲覧目的だけで何度も上京するわけにはいかないので、この制度は非常に重宝する。
 また、相互貸借制度が適用できない図書館であっても、図書館という立場で紹介状を書いてくれ、一般の利用が困難な施設でも閲覧が可能になる。昨年、その手で、京都にある国際文化センター内の図書室を利用することができた。
 近年、地方公共団体は、例外なく予算圧縮で苦しんでいる。人口3万人ほどの町の図書館でも、しっかりした司書の方がいると、ひたすら本を買い揃えなくても、住民サービスがこういう形でできるのである。
 1週間前に受賞のことを電話で伝えたところ、ぜひ来館してくださいとのことで、今日の訪問となった。図書館では地元新聞の記者まで読んで待ち構えていてくれた。その新聞記者と館長や図書館の新任の係長に、自分自身のことや作品、受賞の理由、図書館との密接な関係について1時間半も語ってしまった。
 最後に、持参した賞状と盾を何らかの形で展示したいとのことだったので、喜んで預けてきた。私自身が目立つのは好まないが、賞状と盾だけなら問題はない。
 受賞報告と取材が終わった後、ミッシェルで運んできた寄贈図書15冊を、説明しながら司書の方に渡した。15冊はいずれも私との関係が深い書籍で、地元図書館に収蔵されていないことを確認してある。
 疲れたので、昼食後、仮眠をとり、夕方から取り組み中の長編の修正作業に入った。もう4ヶ月も続けている作業である。

4月2日(日)「なかなか開花しないのは?・・・の風さん」
 1週間前、東京は桜が四分咲き以上で、この週末、おそらく満開なのではないだろうか。ところが、当地は花見にはまだ少し早いようだ。天気予報では、今日は終日雨で、うっとうしい1日になりそうだった。
 日曜画家ならぬ日曜作家の私にとっては、稼ぎ時のはずだが、いかんせんペースが遅い。それでも、やらねばならぬの一念で起き出して、書斎のパソコンに向かう。できるだけ雑念を捨て、余計な作業をせずに原稿の修正を続ける。
 ときどき、雨が激しく降り出すと、外を眺める。そんな風景を見ていても元気は出ない。
 とうとう夜になって、思ったところまで、と言うより、心配した通り、作業ははかどらなかった。
 就寝前に、出版社へ原稿提出が遅れることをファックスした。いよいよ正念場と思っていたのだが……。
 ええい。明日から頑張ろう。

4月4日(火)「訃報、村上元三先生・・・の風さん」
 庭の白木蓮が散り出した。大きな花弁が庭や駐車場を埋め尽くす勢いである。
 朝刊に土曜日に取材された内容(出版賞受賞の件)が記事になっていた。地方版の中でも特に住居区の紙面なので、もっぱらワイフの井戸端会議のネタになっておしまいみたいだ。私のところへはメールが2通来ただけ。
 新鷹会の村上元三理事長が亡くなられた。
 大学在学中から時代小説家を目指していた私は、江戸に詳しい作家ということで、村上元三先生のことを知っていた。実はファンレターもどきものを書いて送ったこともある。返事は来なかった。新鷹会という名前を知ったのもそのころだが、その実態は知らなかった。
 就職して、たまたまカルチャーセンターの小説教室で、新鷹会が出している雑誌「大衆文芸」を知った。そこから今日の私が始まったと言っても過言ではない。毎月15日の勉強会に、村上先生が終わり頃、お抱え運転手付きのクルマでやって来られた。お茶とお菓子をいただきながら、最後の一人の発表を聞いて、コメントをぽつりと言われ、それで勉強会はお開きとなったものだ。
 塩原温泉勉強会にも同行された。一緒に大浴場の湯船に浸かったが、小説の話などとてもできる相手ではなかった。恐れ多すぎて。入門3年目だったかに、私が最後に時代小説を読んだら、他の先生のコメントより先に、村上先生がコメントを言われた。
 「うまくなったね」
 そのひと言で、私の池内祥三文学奨励賞が決まったようなものだった。
 歴史文学賞は、さらにその翌年である。受賞が決まったとき、先輩からお礼状を書きなさい、と言われ、当然書いた。大学時代以来2通目の手紙だった。
 あまりにも大家過ぎて、近付き難い存在だった。
 すべての作品を読ませてもらったわけではないが、『田沼意次』は傑作だと思う。
 今夜が通夜で、告別式は16日にあるそうだ。もちろん東京である。私はとても行けそうにない。合掌。

4月5日(水)「五大路子さんからケータイへ電話の巻」
 昼前の会議中にケータイが鳴った。非通知なら出ないのだが、番号が表示されていたので、出てみた。
 「五大ですけど・・・」
 女優の五大路子さんからの電話だった!
 お手伝いしている長谷川伸の随筆集の自費出版に「ぜひ五大路子さんの原稿を!」と思ってお願いしていたら、本人から私に電話があり、快く了解してくれたのである。
 不思議と初めてお話したような気がせず、盛り上がってしまい、10分以上も話し込み、電話を切るのが惜しかった。
 「この電話にいつかけてきてくれてもいいですよ〜」
 五大さんのケータイの番号は、バッチリ手に入った。わーい!
 長谷川伸の墓参はときどきされておられるそうで、今度は、ぜひ長谷川伸邸をご案内したい。
 午後から三重県松阪市までミッシェルで出張した。帰りに、伊勢の赤福をお土産に買ってきた。
 今朝、五大路子さんと電話で話ができたので、一日中ご機嫌で、ミッシェルのアクセルも軽かった。
 帰宅したら、超高性能モデルの執筆マシンが届いていた。早く立ち上げたいが、原稿も進めねば。

4月6日(木)「賑やかな食卓・・・の風さん」
 職場で動き回ったので、足の疲労を感じながら帰宅した。もうずっと執筆優先の生活を送っているので、下半身が弱っている。そろそろ自主トレでもして鍛えなければ、寝たきりになってしまいそうだ(んなバカな)。
 食卓は賑やかだった。
 進学校に進みながら漫画家になりたいと言い出して父親(私のこと)に激励された長男は、芸大を目指すため「専門の塾に通いたい」と言った。「いいんじゃない」と私。「塾はお金がすっごくかかるんだよ」と次女。「お金出すの@@(ワイフのこと)だから」と私。
 さきごろ速攻で合宿免許を取得した長女は、帰ってきてすぐバイトに復帰したかと思ったら、新学期が始まる直前に、友達同士で熱海へ旅行に行って帰ってきた。恐るべきスタミナ。若さだなあ。
 志望校に合格した次女は、今日が入学式だった。公立高校の美術科である。新入生は40人だが、一人留年がいたらしく、その子が非常に目立っていたらしい。でっかいピアスをしていて、ケータイで黙って先生の写真を撮って帰って行ったらしい。私の母校と同様に、ほとんど校則のない学校なので、生徒は何しようといちおう自由。とびきり優秀な生徒が集まっているので、自主性が尊重されているのだ。流行語を使えば自己責任。
 次女は、これから「バイトしたい」とか「髪を染める」だとか勝手なことばかり言っている。まあ、やれるだけやってみればいい。問題は、最低限でも学生の目的を達成できているかどうか、だ。
 書斎に入ったが、疲れていたので、依頼を受けているエッセイの執筆を半分くらいした。

4月7日(金)「趣味と本業の狭間(はざま)・・・の風さん」
 日本数学会のホームページが更新されないので、このホームページのトップページを更新できないでいる。裏付けが(つまりバックデータが)揃わないと、先へ進めないのは、エンジニアの悲しい習性だ。
 私自身の周囲では、日本数学会出版賞受賞の反響は、ガッカリするほど、ない。ところが、ワイフの周囲では頻繁に声がかかっているという。やはり妻というのは、地元に深く根をおろしている。ところが、夫の宣伝を全くしないワイフなので、「あ、そう? ありがとう」で、おしまい。その気になれば、私のサイン本など、もう100冊くらい売っているかもしれない。そうならないのは、世界平和のためか・・・。
 今日も職場で動き回って疲れた(自主トレが必要だ)。
 執筆で苦しんでいるように、会社の仕事でも苦しんでいる。かなり重要なプロジェクトの運営を任されているのだが、これが実に難しい。このプロジェクトの運営については、全社で私が最適任者だと自負している。それだけのキャリアを積んでいるからだ。しかし、それにしても難しい。今年はプロジェクト存続の危機に陥っている。
 プロジェクトの成功のためには、社内外での活動が必要で、どちらが欠けても成功はない。内部努力は現場の5Sまで指導しなければならないし、外部への働きかけは関係する会社のトップと交渉して、こちらのシナリオ通りに動いてもらわなければならない。きわめて戦略的な作戦と行動ができなければならないのだ。しかも、私の個人プレイだけではなく、個々のメンバーや組織としての能力を、最大限に発揮させなければならないのだ。拙著『怒濤逆巻くも』で描いた小栗忠順(ただまさ)・・・とまで行かなくても、木村摂津守(せっつのかみ)喜毅(よしたけ)ぐらいの行動が望まれる。
 帰宅して、昨日をはるかに上回る疲労を覚えた。当然の結果だろう。
 会社の仕事は趣味だから、これだけ頑張れる。実益も兼ねているし。
 しかし、その上で、本業の執筆に精出さなければならない。
 (今日は、頑張って、会社の昼休みに、村上元三先生の追悼文を書き上げた)

4月10日(月)「しぶとく昼休みも原稿書き・・・の風さん」
 土日に長編執筆を頑張ったけれども、それほど大きな進展があったわけではない。しかし、何とか調子は上向きだと思い込むことにして、元気に1週間をスタートさせた・・・つもり。
 会社の昼休みに、自費出版のお手伝いの原稿を少しだけやった。いつもは疲れていて、とてもそんなことはできないのだが、やはり調子が上向きのときは違うようだ。何となく、気分がよい。
 昨日、岩波書店の雑誌向けの原稿を電子メール送付しておいたら、早速返信があった。うまく行きそうだ。
 昨日は、新鷹会の伊東先生からファックスがあり、15日に理事会を開催したいとのことだった。今の状態ではとても出席でないので、同じ理事の野村敏雄先生や松岡弘一さんに電話とファックスを送り、議題に対する委任をした。帰宅して、伊東先生へもファックスで、15日のことをお願いした。
 色々と雑務をしているだけで、遅い時間になってしまったので、ロックを飲みながら、新執筆マシンの取説を読んだ。昨日までの上向きの調子がちょっとヤバくなりそう。

4月11日(火)「トラブル発生のため終日会議室・・・の風さん」
 終日雨だった。体が重い。頚椎症の鎮痛薬が残り少なくなっているので、毎日服用することができない。あと10日の我慢だ。もつか?
 会社の仕事は、先日の日記にも予告した通り、かなり深刻な状況に陥っている。昨日、今日と終日会議室に籠もっていた。今日は、昼休みも製作所の食事会に出席していたので、昨日の続きの原稿はできなかった。しかし、食事会の中で、私の日本数学会出版賞をお祝いしてくれたので、まあ、良かったか。しかし、その後も、会議室に籠もり、とうとう夜の9時過ぎまでそこにいた。
 帰宅しようと外へ出たら、すごい雨と風で、ミッシェルで走っていると、満開の桜がそこらじゅうで散っている。道路に桜の花びらがたくさん散り敷いていて、ライトに照らし出された路面が、とってもセクシーだった。
 岩波書店向けの原稿は修正を加えたので、ほぼ完了。
 日本数学会から「数学通信」に受賞のことばを載せるので、原稿を書いて欲しいという依頼状が来ていた。締め切りはけっこう先だが、書くことは決まっている。懇親会のスピーチのために書いた文章だ。
 さすがに帰って夕食を摂ったら疲れが出て何もやる気がしない。インターネットで壁紙なんぞを物色してダウンロードし、昨日と同様に、ロックを飲みながら新執筆マシンの取説を読んで寝た。

4月12日(水)「もう限界。とっても眠い・・・の風さん」
 早起きして本社へ出張した。会社の仕事は緊迫しているので、色々なことが綱渡り状態である。
 結局昼食時までいて、あれこれと用事を済ませてから製作所へ戻った。
 ミッシェルのハンドルを握りながら、かなり疲労感を感じていた。
 製作所に着いてからまた会議室に缶詰め状態になった。
 だから、今日も昼休みに自費出版のお手伝い原稿はできなかった。
 帰宅は9時を過ぎていて、食堂へ入ると、東京の知人から日本数学会出版賞のお祝いが届いていた。シャンペンである。心憎いことをしてくれるなあ。すっごく美味しい上等のヴーヴクリコだよ。うれしい。
 ハードスケジュールも3日になると、もう限界だ。
 明日も大変なので、東京出張を中止したくらいである。
 今夜こそ早く寝よう。

4月13日(木)「ワンパターンの着替えが続く・・・の風さん」
 東京出張を中止したので、きっと仕事が捗るだろう。
 ミッシェルで出発して、最初の交差点のところで菜の花が満開である。秋になるとコスモスが咲き乱れる。休耕田なのか野原なのかよく分からない場所だ。
 例によって鞍上と同じ状態のミッシェルなので、次々にアイデアが浮かぶ。仕事のアイデアなので悲しいものがあるが、ま、しかたないか。出社早々に、思いついたことをどんどん実行した。幸先良いスタート。
 昼休みにも、月曜日以来の自費出版のお手伝い原稿を少し書いた。よしよし。
 午後から報告資料の作成に着手したが、熟考するタイプなので、小説と同じように作業は簡単には進まない。とうとう自分の時間を全部使い果たしてしまった。そろそろ雲行きが怪しくなってきたぞ。
 夕方から、問題対策会議。新たな事実が発見されて、問題はますます解決が困難な方向に突き進んでいる。
 定時後、上司にも入ってもらい、会議を続けたが、なかなかスッキリした結論にならない。それでも、9時過ぎに終了して、帰宅することにした。その時点で、明日の名古屋出張は中止する覚悟を決めていた。
 ミッシェルに乗ってハンドルを握ると、欲求不満を発散したくなり、思わずアクセルを強く踏み込んだ。おっと、いけねえ。まだ製作所の中だ。
 10時に帰宅して、すぐにパジャマに着替える。今日まで3日間、会社の服装とパジャマしか着ていない。

4月14日(金)「Zhang Ziyi・・・の風さん」
 昨日は光文社から新鷹会のアンソロジー第4弾『武士道春秋』に拙作を収録するとの連絡があった。6月の長谷川伸の会までに刊行するとのことだが、かなり時間が押している気がする。大丈夫だろうか。もっとも、お手伝いしている自費出版も同じ時にお披露目するのが目的なので、相当に大変ではあるが。
 今日は名古屋出張をやめてまで、何とか仕事をうまく片付けたいと思って出社したのに、着いた早々、最悪の事態になっていることが判明した。しばらく議論した結果、トップへ報告すべき事態と判断し、午後から本社へ出かけた。沈痛な面持ちで報告したが、「元気出して頑張れ」と励まされて製作所へ戻った。
 職場に戻ってからも会議が続き、その合間にひょいと社内メールをチェックしたら、Zhang Ziyiからメールが届いていた・・・わけないだろ。ま、いいや。とにかくうれしかった。
 それで元気がまた出たわけでもないが、その後もガンガン仕事して、午後10時頃やっと解放された(部下が気を遣ってくれた)。休出する部下も多いので、申し訳なく思う。
 ミッシェル(念のために書いておくが、これは愛車のニックネーム)に乗って、アクセルを踏み込んだが、少々疲れ気味でおとなしく帰ったよ。
 帰宅したら楠木誠一郎さんから次女宛の手紙が届いていた。
 明日は新鷹会と理事会だが、お休みして、週末は執筆専念となる。しかし、「大衆文芸」編集部長としては、5・6月合併号に執筆してくれる人へ、確認のための往復はがき2通を印刷し、電子メール3通を出さねばならなかった。おっと、もうすぐ午前1時だ。ぼくの大事な週末がこうして1時間消えていく(涙)。・・・待てよ。五大路子さんからの返事がまだ来ないな。明日にでもこちらからお電話差し上げようか・・・いやいや、私は執筆執筆。

4月15日(土)「居間で執筆・・・の風さん」
 職場の重大トラブルを部下に任せて、貴重な週末の時間を確保することができたので、絶対に無駄にしてはいけない。さらに、新鷹会の勉強会までサボっている。もう一つ白状すると、今日は、勉強会の前に理事会も開催されるのだ。他の理事や会員に色々と頼み事をしておいて、私は宝物のような時間を手に入れたのだ。
 その緊張感からか、通常の時刻に目が覚めた。ぐずぐずと寝坊しているより、疲れたらその時点で仮眠すればよいのだから、と起床した。
 最近の執筆の反省で、執筆マシンを階下へおろし、居間で執筆することにした。どうも書斎で執筆すると能率が上がらない。理由は自分でも分析しているのだが、よく分からない。ただ、長女が受験勉強をよく居間でやっている。それで好成績を上げているのは間違いない事実だ。また、かつて私も、ついつい調べ物に没頭してストーリー作りをおろそかにすることがないように、わざと資料のないサンルームで執筆して、一時的ながらも成功した経験がある。今回の執筆も、基本的にはストーリー作りなので、試してみることにした。
 不思議不思議、はかどる(^_^)。
 昼食後、少し疲れたので、1時間半ほど仮眠したが、まだいける。
 楠木誠一郎さんから贈られたラジオブックスのCDを家族で聞いた。「卒業生は名探偵」という作品の朗読で、ストーリーも面白かったが、文体で勉強になるものがいくつかあった。
 その後も、執筆のペースは落ちなかった。
 とうとう夕食前まで好調に執筆が進んだ。
 夜は、子供らが居間でテレビを観るので、それはちょっと危険かな、と書斎に戻ったのが運の尽き。その後、寝るまでサッパリだった(^_^;)。
 明日は、再び居間へ戻ろう。

4月16日(日)「第4稿が完成・・・の風さん」
 昨日ほどではないが、まずまずの時刻に起床した。東京では、故村上元三先生の告別式がある。私は弔電を打っただけ。本当なら出席すべき立場だが、いかんせん、自分自身のことに追われて失礼している。
 当地は、雨上がりの日曜日で強風が吹いている。全く外出しない私には関係ない。しかし、これで桜は完全に散ってしまうだろうな。私の人生の桜も散ってしまわないようにしないと。
 今日はもう絶対に書斎に戻らない覚悟で、執筆マシンを居間に設置した。
 できるできる。やはり居間にいると執筆がはかどる。不思議だ。
 夕方、少し疲れて30分ほど横になったが、再び居間に戻って執筆続行。
 夕食後も、家族が横でテレビを観ていようと、ダイニングテーブルの上に置いた執筆マシンに向かった。
 午後9時からラストスパート! ついに午後10時。正味、原稿用紙換算644枚の長編第4稿ができた。これを印刷フォーマットに落として、194ページ。書斎とサンルームに置いてある2台のプリンターに半分ずつ流し込んだ。当然、どちらも逆順序で印刷する。
 午後11時には無事、1枚のミスもなく印刷が完了した。その間に、宅配便の用意をし、出版社へ送付予告のファックスも送った。
 実に、この第4稿のために4ヶ月以上もかかった。色々な仕事をしながらの執筆だったので、苦しかった面もあるが、つくづく仕事の遅さを実感した4ヶ月でもあった。

4月17日(月)「職場のピンチが続く・・・の風さん」
 宅配便の手配はワイフに頼んだ。他に、郵便振込みが2件。
 それほど睡眠不足ではないはずなのに、朝からやけに眠い。週末の集中執筆で疲れているのかもしれない。しかし、職場の仲間の中には休出した者も多かったはずで、今日から私もまた頑張らねば。
 朝からガンガン仕事を開始したが、昼前に、また非常事態となった。最近は、幸運の女神からも見放されている感がある。できれば、昼休みぐらい内職したかったし、プライベートの電話を(もちろん自分のケータイから)かけたかったが、一日中仕事漬けで他には何もできなかった。
 今日は、3人の部下が神奈川県へ急遽出張となり、2人の部下が滋賀県へ出張となり、私はトップ報告もあって本社を往復した。これだけ多くの仲間が頑張っているのに、なかなか事態は好転しない。
 夕方、さらに追い詰められた事態となった。明日は、朝一から対策会議になるだろう。午後には、私たちの職場に重要な来客がある。また、明後日にはトップ報告が必要だ。
 夜は、自費出版の手伝いだ。長編の執筆の合間にしかできない。

4月18日(火)「殺人未遂事件・・・の風さん」
 急に暖かくなってきたぞ。気候の変わり目には注意しなくちゃ。
 今日、未明、突然目が覚めた。異変を感じた。地震があっても決して目が覚めない私が、である。
 あたりは暗い。夜明けまではだいぶありそうだ。
 ワイフの気配をさぐると、何やらうなされている感じ。
 手を伸ばして「どうしたの?」というつもりで肩に触れたら、気付いたらしく、ついでに誤解されてずずずずっと離れていった(笑)。
 ま、とにかく安心して(?)、私はまた寝入った。
 起床してワイフにこのことを話したら、しっかり覚えていた。
 「夢でも見ていたのか?」とボク。
 「殺されそうになっていたの……」とワイフ。
 「起こしてやってよかったろう?」
 「感謝するのは、あなたよ」
 「どういう意味だ?」
 「強盗が入って、あなたが殺されそうになっていたの。それで、私が何もできずに、助けてえ〜って叫んでいた。あのまま行ったら、あなたは殺されていたわ」

4月19日(水)「ミッシェルが10万キロ突破・・・の風さん」
 昨日は帰宅して夕食を摂ったら、猛烈に眠くなってきた。それで、少し仮眠して目覚めたのが午前零時。それから入浴して、書斎へ直行した。
 自費出版のお手伝い原稿を修正して印刷所へ電子メール送付したのが午前4時である。
 就寝は午前4時半。
 それで、普通に起床できるわけがなかった。
 すっかり寝坊してしまった。
 先に仕事をしていた同僚に合流できたのは、午前11時だった(遅ーい!)。
 ……。
 退社したのは午後10時半を過ぎていた。
 ミッシェルを走らせながら、時折、積算距離計をにらんだ。そうである。今日は、ミッシェルが10万キロを突破する日なのである。
 しっかり100000kmのところで、ミッシェルを停止させて、ケータイで記念写真。
 4万キロ走行のミッシェルを中古車として購入してから6万キロ走ったことになる。約3年と7ヶ月かな。
 ミッシェル、おつかれさん。あと2年、通算13万キロ超まで頼むぜ。
 

4月20日(木)「移動時間だけで9時間半・・・の風さん」
 朝から土砂降りだったが、東京へ出張した。職場のピンチは依然として続いている。それぞれが、それぞれの持ち場で頑張ってくれている。私も、私しかやれない職務に取り組むしかない。
 仕事が終わってから、2時間半かけて横須賀へ回った。自費出版のお手伝いをしている方との、二度目の打ち合わせのためである。ずいぶんと移動に時間をかけたが、打ち合わせは1時間弱。
 そこから帰宅するまで、3時間半かかった。今日は、移動だけで9時間半である。
 寝る前にも、いろいろと雑用をしたが、こんなに忙しくては、ちっとも片付かない。
 ロックを飲みながら少し読書して寝た(ベッドに入るとバタンキューだった)。

4月21日(金)「会社、中学校、整形外科・・・の風さん」
 一転して青空が広がっている。目覚ましでいったん目が覚めたものの、昨日の疲労でまたダウンしてしまい、有料道路を使っても、職場には30分遅れて到着することになった。
 午前中は会議で手一杯だった。
 昼食を摂る余裕もなく、ミッシェルで有料道路を出勤時とは逆に突っ走り、地元の中学校へ向かった。今日は、PTA総会で、会計報告をしなければならなかった。途中、横浜方面へ出張している会社の同僚とケータイでメール交換して、仕事の進展を確認していた。
 会計報告の途中で、突然花粉症になり、鼻が詰まってしようがなかった。そういえば、1年前の総会でもそうだった。いずれにせよ、これで1年間の任務が完了したのだ。
 いったん自宅に帰り、食事をしてから、整形外科へ行った。頚椎症の鎮痛薬をもらうためである。
 すごく混雑していて、往復含めて2時間半もかかった。
 その間にも、職場では同僚が必死に働いていて、大ピンチ脱出をはかってくれていた。

4月22日(土)「セミナー会場は21階・・・の風さん」
 6月のセミナーの講義の下見のため、名古屋のNHK文化センターへ出かけた。
 名鉄と地下鉄を乗り継いで栄で降りた。オアシス21のすぐ近くである。このあたりは何度も来ているが、NHKのビルに入るのは初めてだった。7階に受付があるので、先ずそこを目指したが、「数式に潜む美しい真理」セミナーは最上階21階の教室で開催されていることが分かり、そこへ向かった。入り口に係りの女性がいて名乗ると、教室へ入れてくれた。第1回目の講義が、名古屋大学大学院多元数理科学研究科の、菅野教授によって行われていた。前の方の席が空いていたので、そこに座って聴講した。聴講者は約30人ほどで、リタイアした年配の方が多かった。『博士の愛した数式』で有名になったオイラーの公式を、平易に解説しておられたが、けっこう難しいのではないかと思った。しかし、数学の公式がどうやって誕生し、どのようなところで役に立っているのか、受験の道具としてしか数学を学んだことがない人には新鮮ではないだろうか。
 講義終了後、同大学の宇沢教授も合流し、1階の喫茶室で1時間半歓談したが、これは一種の異種格闘技……じゃなかった、異業種交流であり、なかなか共通の話題で盛り上がるのが難しい。二人の教授が数学のレベルをぐっと落としてくれて、かろうじて数学の話題で共鳴し合った(^_^;)。
 6月の本番までに、受講生に楽しんでもらえるようなアイデアを考えねば。
 夕食後、長女にミッシェルを運転させて団地内をぐるぐる回った。初心者なので、とにかく一般の道の運転の経験を積ませないと、永遠にペーパードライバーになってしまう。

4月23日(日)「いくらか仕事が片付いた風さんの巻」
 雨模様のぐずついた日曜日の朝である。やることがたくさんあるので、あまり寝坊はできなかった。
 朝食後、日本数学会の「数学通信」に掲載するための、「出版賞受賞のことば」を執筆した。原稿用紙で2枚ほどなので、ま、なんとか完成させられた。顔写真も必要で、これは締め切りまでに色々と撮ってもらい、選ぶことにしよう。
 知人の自費出版のために、女優の五大路子さんから原稿を拝借する件で、先日、電話だけで済ませていたが、それではあまりにも失礼なので、手紙を書いた。
 これらが午前中に終わったので、午後から、自費出版原稿データの校正に着手した。しっかり読んで直している余裕はないので、テキストデータ作成者が読解できなかった部分を優先して校正した。それだけでも結構な量があり、先日の横須賀での打ち合わせが不十分だったことが判明した。
 この作業に没頭するため、町内会の総会に出席できなかった。
 夕方やっと校正が一段落した。全部で41個のテキストデータである。電子メールに分けて添付して印刷所へ送った。今週、上京したときに、これからどうするか打ち合わせるつもりだ。
 あいかわらず体力不足を感じる。今日こそトレーニングに、と思っていたが、仕事で手一杯だった。就寝前に体をほぐしつつ、少しだけ筋肉トレーニングをするしかない。

4月24日(月)「新執筆マシン立ち上げ中・・・の風さん」
 ゴールデンウィークは長編の手直しのために、書斎に籠もることになるのは明白なので、それまでの時間を利用して、新しい執筆マシンの立ち上げ作業にも着手している。
 昨日は、ウィンドウズを立ち上げ、リカバリーディスク(DVDで2枚)も作成した。その間に、現在の執筆マシンのバックアップをとった(これが実に2時間以上もかかった)。
 今日は、ソフトを2本インストールした。明日も、2本インストールする予定である。
 データを入れるのは最後にしようと思っているが、もしかするとゴールデンウィーク明けになるかもしれない。
 新マシンに完全移行した後は、旧マシンは長男のものになる予定。これで、あいつは漫画を描くんじゃないかな。しかし、あいつの部屋もガラクタの山だから、パソコンなんか置くところはないのではないか。
 パソコンの立ち上げなどをしていたので、読書がおろそかになっている。ちょっとヤバイ。それでも、就寝前に軽くトレーニングすることは実行した・・・って、どういう関係があるんだ?

4月25日(火)「インターネットで変わる世の中・・・の風さん」
 昨夜、執筆マシンをスタンバイ状態にしてから今日まで、24通のメールが届いたが、ほとんどが迷惑メールである。もはや私のメールアドレスは、ネット愉快犯の餌食になっている。
 2重のメールフィルターで、ほとんど読まずに削除しているが、不愉快きわまりない。
 夕食前に新聞を開いたら、振り込め詐欺で160回、合計1億ン千万円も騙された三十代の男性の記事が載っていた。こういう人はお金を持っていても使い道を知らないのだろう。「悪銭身につかず」ということわざ通りの結果になったわけだ。そこへいくと、私の場合は、最近は、悪銭も良銭もまったく入ってこない。執筆、執筆。
 今年は講演の当たり年らしい。
 昨夜も、メールで講演依頼があり、お受けすることにした。ただし、かなり重たい任務となるため、心して準備していくつもりだ。ひょっとすると、今年は合計6回くらいになりそう。
 講演仕事だけが着々と進んでいて、会社の仕事は一番ピンチ、長編は難航。やはり、執筆、執筆。
 新執筆マシンはいつ立ち上がる?

4月26日(水)「母校ネタで男を下げる鳴海風の巻」
 鳴海風もたまには男を下げる発言をしてもいいだろう。並みの人間なのだから。
 昨日、会社の同僚が同窓会の会費を集めに来た。大学では後輩に当たるので、一切文句は言わずに2年分の会費を支払った・・・が、腹の中では納得していない。
 私はご存知のように某大学出身である。昨日の会費は、工学部の同窓会である。これまたご存知のように工学部といってもたくさんの学科がある。私は機械工学卒なので、機械系の同窓会にも入っている。さらに、研究室は某研究所内にあったので、その研究所出身者の同窓会にも所属している。つまり、私はたった一人で、学歴も一つなのに、同窓会は3つに入っていて、しっかり毎年会費を納めている。うっかりすると、大学の同窓会の誘いがあったら、それにも入っていたかもしれない。こういう場合、最も自分の縁が深かった同窓会だけに入っていれば、それで十分だと思う。その点、工学部の同窓会が最も範囲が広く、縁が薄いと言わざるを得ないのだが、会費の集金を、会社の同僚というか大学の後輩がやっているので、むげに拒否できないのである。
 それでも、お金を支払ってしまえば、またしばらく何もないのだから、昨日は「ごくろうさま」と支払った。
 その翌日、が今日である。
 なんと、作家の瀬名秀明氏が、大学院工学研究科の特任教授に就任したことを知った。
 瀬名氏は、ご存知、『パラサイトイブ』の著者である。私も読んだ。仙台と出身大学が舞台になっていることはすぐに分かったし、内容もとても面白かった。その通り。瀬名氏は同窓生である。ただし、彼は薬学部出身。専門分野が違う。ところが、なぜかロボットなどのイベントにしばしば顔を出して変だな、と思っていたら、今回、担当分野はSF機械工学企画となり、工学部機械系の教職員を相手にするという。ちょっと、待ってくれ。彼は薬学部出身ではないか。私は、工学研究科機械工学専攻の出身だよ。機械工学だってロボットだって、私の方がより専門に近い・・・。
 文学研究科出身の脚本家、内館牧子さんは昨年、母校の相撲部の監督に就任している。
 そうか! 同窓生でも、こういった異色の返り咲きこそ、皆の賞賛を浴びる。
 工学研究科機械工学専攻の作家、鳴海風なら、30年ぶりに母校のボウリング部の顧問となる、ぐらいがいいところか。・・・とはいえ、まだ存在するのかな、ボウリング部?

4月27日(木)「次の日、早くも反省している風さんの巻」
 有休にして上京した。ところが、こういう日に限って雨だもんなあ。東京雨男だぜ、ったく。
 昨夜のボヤキをそのまま母校の機械系学科の教授(ロボットの大家)にメールでぶつけたら、深夜、返信があった。
 「瀬名氏にはロボットに関する小説があります。特任教授は、機械系学科から委任しました」
 そのショックを引き摺りながら上京し、小雨がぱらつく中、出版社との打ち合わせ場所に向かった。書店の2階の喫茶店である。少し時間があったので、さっそく瀬名氏の本をチェック。
 おおっ、あった! なんと、単行本で出ていた。『あしたのロボット』というタイトルだった。あやうく購入しそうになったが、まだ他にもあるかもしれないと、冷静になって文庫の方も探してみた。
 おおっ、ここにもあった! それは、『ハル』というタイトルで、単行本のタイトルを変えたものだった。当然、安い方の文庫を購入した。むむっ。いずれにせよ、私の知らない間に、彼はロボットの分野に領域を広げていたわけだ。納得。
 取り組み中の長編について入念に打ち合わせた。議論はほとんど最大のヤマ場の作り方で、なかなか難しい。課題は多く残っているが、ゴールデンウィーク中に頑張って第5稿に仕上げる約束をした。
 古本屋を1時間ぐらい物色してから、例のお手伝いしている自費出版を出してもらう創造書房へ地下鉄で移動した。着いてビックリ。日曜日に送ったデータが初稿ゲラになっていた。問題は校正である。
 帰りの電車で東野圭吾氏の『さいえんす?』を読み終えた。鈴木輝一郎さんも感心していたように、これは面白かった。
 帰宅したら注文してあった本が何冊か届いていた。その中には、大野優凛子さんのエッセイ集『きっと、いつか、やれる』と処女出版『翠の月』が含まれている。ワイフのリクエストとはいえ、これはすぐに読んでみなければならないな。どうも私は勉強不足なので、やはり他人の作品はたくさん読まなければ。

4月28日(金)「歯の治療が楽になる・・・の風さん」
 1ヶ月に1回通っている歯科治療の日である。
 最初に応対してくれた女性は、いつもと違う可愛い子だった。これは私にとっては、決して幸運ではない。可愛い子はやることが乱暴で痛い。歯の掃除をされているとき、私の頭の中の空想の世界では、秘密情報部員の風さんが敵につかまって拷問されているシーンが浮かんでいる。いくら美女でも、拷問されてうれしいわけがない。
 最初に歯科医のチェックを受けた。
 とうとう「かなりきれいに磨けていますね。歯茎の腫れもないし。これなら次は2ヵ月後にしましょう」と誉められた。そりゃそうだろう。毎晩高性能電動歯ブラシと、歯間ブラシ、糸ヨウジなどを駆使して磨いているのだ。これで効果がなければ大問題だ。
 うちでは長男と長女は比較的歯が丈夫。それに比べて、ワイフと次女と私は歯が弱い。これはきっと、長男と長女には虫歯菌がなくて、それ以外の3人には虫歯菌があるのだろう。加えて、私は歯垢がたまりやすいらしいのか、あるいは、歯並びなどの関係で歯磨きが難しいのかもしれない。ここ1年近く毎月歯の掃除に通わされている。
 例によって歯の掃除をやられたが、恐れていたほどの苦痛ではなかった。
 意外と早く終わって、体を起こしたら、いつもの女性だった。なーんだ、それで痛くなかったのか(^_^;)。
 次は、2ヵ月後となった。

4月29日(土)「天下の悪法、現代によみがえる?・・・の風さん」
 多くの人たちが指摘していることだが、人間とは決して賢くなっていかない生き物である。その典型的な証拠が、歴史に学ばない、ということだ。有史以来戦争を続けていることがその良い例である。
 天下の悪法と呼ばれた「生類憐みの令」と似た法律が、まもなく施行される。
 電器用品安全法によるPSE表示に続いて、今度は駐車違反の即刻取締りである。
 法律が厄介なのは、事前の十分な問題点抽出と対策が講じられていない場合、本来の主旨から逸脱して、いかにして法律を守るかという方法論の議論になってしまうことだ。目的と手段の取り違えというやつだ。
 PSE表示は後から大騒ぎになって、色々な処置がなされた。今回の駐車違反即刻取締りはどうだろう。駐車違反摘発業務を民間業者に委託するようになるから、問題は複雑になると思われる。
 迷惑をこうむる宅配業者に限定して意見を述べる。これまでの粋なはからいが消滅する恐れが高く、宅配のクルマを一人で運転するのが困難となる。運転席から降りたら即違反だからだ。今朝の新聞にクロネコのアシスタント募集広告が入っていた。助手席に乗ってもらって配達をしてもらう人だそうだ。これなら運転手は乗車のままとなり、即刻違反とはならない。クロネコとしては、コストアップを余儀なくされる。しかし、よく考えてみれば、クルマは従来通りに路上に停車しているわけだから、法律違反とはならなくても、路上停車のクルマを減らすことにはならない。本来の目的を果たすことにならないばかりか、クロネコのコストアップは、回りまわって利用者の負担になりかねない。ゆうパックの登場でサークルKから追い出されたクロネコは、再び、法律改正によって経営が圧迫されるのだ。
 今回の法改正を「生類憐みの令」と似ていると指摘するのは極端かもしれないが、少なくとも天下の悪法になりかねい危険性をはらんでいることは間違いないだろう。

4月30日(日)「自費出版のお手伝いで誤算・・・の風さん」
 昨日、お手伝いしている自費出版の初稿ゲラを、依頼主と新鷹会の伊東先生へ送ったら、早速、伊東先生からクレームがついてしまった。長谷川伸先生の作品を少しでも多くの人に読んでもらうためには、大幅手直しになったとしても何とか出版しなければならない。その手直しは、結局、私がやることになるような気がしてきた。泣きっ面にハチといった感じだが、仕方ない。
 新執筆マシンの立ち上げを毎日少しずつやってきた。そろそろ大詰めである。執筆マシンで普段やれていることが、かなりできるようになってきたからだ。あと数個のソフトが機能するようになったら、執筆マシンを購入時の状態に戻して、長男へお下がりで渡す。
 機能・性能面で飛躍的に向上するので、モバイルのアシュレイに分担させている役割(秘書業務)も、最終的に新執筆マシンに移動させるつもりだ。そして、アシュレイは本来のモバイルに特化させる。
 今日から、長編の手直し作業も開始した。序盤戦なので、まずは順調な滑り出し。しかし、初稿ゲラ事件があったので、夕方からトレーニングに行く気力が失せた。人間は感情の動物である。鳴海風も例外ではない。

06年5月はここ

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